2008年目次

icon1月6日
icon1月20日
icon2月10日
icon2月24日
icon3月9日
icon4月11日
icon5月4日

2008年1月6日(日)

 クリスマスイブから四日間と元日は店を閉めた。  休みの間に、これまで準備していたお店のウェブページをつくり、メニューや営業時間や住所などが見られるようにしておく。そのほかお店にいてはできない仕事をいくつか済ませておく。

 クリスマスイブの日はユリさんが鶏のオーブン焼きとケーキを作ってくれて、ユキと三人でお祝いをした。
 近くの山にお弁当を持ってハイキングに行った。ユキは三歳になったばかりなのに、がんばってよく歩く。彼は最近誕生日のお祝いでプレゼントをもらったばかりなのに、クリスマスのプレゼントももらって大変機嫌がいい。
 ユリさんとはあいかわらずしばしば言い争いになる。そして彼女の口からは離婚の話も出る。原因は、生活費の渡し方とか休みの日の使い方とかささいなことだ。きっかけは、相手の言い方がしゃくに障るとか、さらにささいなことだ。こんなことで争いあうなんていやだなって僕は思う。たぶんユリさんもそう思っていることだろう。

 大晦日の夜はみんなお祭り騒ぎに出かけるようでお客さんは少なかった。店を閉めてから僕はカウンターの中で一人ビールを飲んだ。
 二〇〇七年も終って二〇〇八年になった。去年の今頃、ユリさんとユキは日本で暮らしていた。僕は一人暮らしをしながらカタオカで仕事を続けていた。
 状況はまだまだ良くない。今年は家族全員のこれからの人生がかかった一年になるだろう。

 十二月の売り上げ合計金額は二七二二ユーロ、十月のオープン以来少しずつ下がっている。一日平均だと数ユーロ上がっているけど、クリスマスでこれは実質下がっているといっていいだろう。
 でも、どれだけ働いてもきりがないくらい、やるべきことがまだまだたくさんある。何もかもやりつくして売り上げが下がっているのならともかく、やるべきことがたくさんあるということはそれだけ可能性があるということだろう。そう言い聞かせて胃痛をなだめる。
 明日が見えない。

2008年1月20日(日)

 ホールのカルロスの仕事態度がますます悪くなり、僕は代わりの人を探そうかと考え始める。これだけお客さんがいなくても、店の家賃と彼の給料は僕の貯金を切り崩しながら払っている。暇でやることがなくても、あまり厳しくやることを言いつけたりしていない。何が不満なのか全く見当がつかない。
 お店の売り上げは、客席数がたくさんあるぶん上下の差が激しい。トータルでほんの少しよくなってきたような気がする。

 ユリさんとはやっぱり時々口論になる。僕は毎日一日中仕事で、日曜日には夜九時くらいに寝てしまう。目が覚めている間は全部仕事時間のようなものなので、家でもメニューのことを考えたりしてしまうが、なるべく家族とすごすように心がける。
 ユリさんも定期的に機嫌が悪くなる。そういう時は全く近寄れない。何とかしようとしてあれこれやってみるが、これまでに何とかできたことが一度もない。距離を置いてかかわらないようにするしかない。
 最近、朝、家を出る前にデザートの仕込みのこととユキの学校のことをいくつかユリさんに確認したくて、三つくらいの用件を台所にいる彼女に早口で聞いた。僕は仕事に出かける前でいそいでいたし、頭の中はもう仕事モードになっていた。
 ガシャンッ、ガランガラン。
「わぁーーーーっ」
 ユリさんは手に持っていたフライパンを目の前の調理台に力いっぱい叩きつけて叫び声を上げた。フライパンと中の野菜はキッチンの床と壁に飛び散り、ユリさんはその場にすわりこんで自分の耳と頭をかかえて声をあげ続ける。
「わぁーーーーっ」
 僕はびっくりして一瞬呆然となるが、ユリさんの肩を抱いて背中をさする。何が起こったのかわからないから何て声をかければいいのかわからない。
「大丈夫? 火傷してない?」
 十五分位彼女はしゃがんで泣き続ける。早口の僕の言い方が非難がましく催促するように聞こえたらしい。三十分ほどして彼女は少し落ち着いてきた頃、後ろ髪をひかれる思いで僕はお店に出かける。
 その日もやっぱりいつものように僕は一日中仕事をした。合間に電話をかけたが、不機嫌な彼女とはうまく会話がかみ合わずに電話は切れた。

 エバとケンジさんとアリシアちゃんはまた引越しをした。ユキをつれて三人で遊びに行くと、コルセローラの山の上にある建物で、広い庭に直接面していてすごく景色がいい。目の前にバルセロナの街が見下ろせる。
 今エバは家事をしながらアルバイトをしていて、ケンジさんがフルタイムでウェイターの仕事をしている。夜中仕事が終わってから交通手段がないので、彼は真っ暗な山の中を歩いて登って帰宅しているらしい。バルセロナの街の中からだと二時間くらいはかかるだろう。
 ちょうど数日前、僕はエバからケンジさんとの家族問題を相談されたばかりなので心配していたが、実際に会うと特に問題はなさそうに思える。
 ユキとアリシアちゃんが楽しそうにげらげら笑いながら芝生の上を走り回っているのを見つつ、四人でおしゃべりしながらお茶を飲んでいると、夫婦間の問題なんか自分たちには何も関係がないような気持ちになる。

2008年2月10日(日)

 一月の売り上げは四六〇二ユーロ。これまでやってきたことが伝わっているのか、ほんの少しだけ上を向き始める。
 気持ちをなるべく切り替えるようにしてから、胃の痛みは静まった。仕事をしているとついついむきになってしまうが、真剣に悩まないようにして、楽しみながら働くよう心がける。
 去年引き落とされた電気料金の一四〇〇ユーロが、何度も事務所に行ったり電話をかけたりして今月になってようやく返金された。たんなる電気メーターの読み間違いだったらしい。
 メニューや、内装、外装、オープンした頃イメージしていた案は手作りだけど大体実現した。またこれから新しいアイデアを考えようと思う。

 お店の大家さんはもう七十歳近いおじいさん。契約するときはそうでもなかったけど、毎月家賃を催促に来るたびに態度が悪くなる。少し遅れることはあるけど、きちんと毎月払っている。今の状態では家賃を払うのも大変だ。少しくらいは理解してもらいたい。
 毎回奥さんと一緒に来て、「ちゃんと働いてるのか、家賃はいつ払うつもりだ」などと客席にも聞こえる大きな声でどなるように言って、必ずトイレを使って帰っていく。奥さんもトイレを借りていく。二人とも長い間出てこない。お年よりはトイレが近いんだろうと僕は思った。

 今日は家のすぐ裏の広い公園でお弁当を食べる。端から端まで歩いて三十分くらいかかりそうな大きな公園は新しくきれいで、僕たちはユリさんのつくってくれたお弁当を食べたり、芝生の上で寝ころがったりする。公園内ではあっちこっちで小さな子供たちが遊んでいて、犬の散歩をしている人もたくさんいる。天気が良いと風はもう春の匂いがする。
 明るい芝生の上をボールを追って走るユキを見ながら、この地域に引っ越してきてよかったなと思った。

2008年2月24日(日)

 お店の売り上げは去年までと比べると、ほんの少しよくなってきたような気がする。それでもびっくりするくらい暇な日が頻繁にある。心臓と胃に悪い。

 僕とユリさんは朝しか顔をあわさない。僕はこの時間を使ってなるべく子供の事を聞いたり、いろんな話をしたいと思っている。
 その日もユリさんの機嫌は良くなかった。僕も忙しくて気持ちに余裕がなかった。そして言い方がほんの少しきつくなった。
「まだ、できていないの? 先週から言ってたのに」
 ユリさんはかかえていた洗濯物を置いて寝室に入る。
 バタン、ドン。
 寝室から変な音がするので僕も後から入っていく。
 ユリさんはフローリングの床にはいつくばって自分の長い髪の毛をわしづかみにしている。苦しそうに泣きながら床の上で身もだえる。
「わぁぁ、もう無理です。離婚してくださいぃ」
 泣きじゃくりながら頭をかかえ、自分の髪の毛を握って引っ張る。
 僕は肩を抱いてあやまる。
「ごめん、言い過ぎたよ、ユリさん」
 でもユリさんはひたいを床につけて土下座したまま苦しそうに手足をもがいて泣き叫び続ける。
「すいません。お願いですから別れてください。もう無理ですぅ。ぅわぁぁ」

 泣きつかれたユリさんは少しずつ落ち着いてくる。
「さっきはごめん、言い過ぎたよ。まだ僕たち大丈夫だよ。もう少ししたらきっと全部うまくいくよ」
 いつものように僕はなだめる。
 僕は前々から考えていたのだが、ユリさんはかなり無理をしているようなので、一度日本に帰って休養をとったりしてもらおうかと考える。もちろん離婚も真剣に考える。子供の将来のことも考える。いろんなことを考える。良くないことも考えたくないことも考える。
 でも、もう少ししたらきっと全部うまくいくと思う。

 今週は天気が悪く、ずっと曇りがちで雨が降ったりやんだりしている。ユリさんは数日前から風邪気味で、ユキも喘息でせきがとまらない。
 今日は家で静かに三人でアニメ映画のDVDを見てすごした。
 窓の外で降り続く雨はやみそうな気配がなく、山の上の雲は何層にも重なり合って空を覆い隠していた。

2008年3月9日(日)

 二月の売り上げは五〇六六ユーロ。一日平均もやっと二〇〇ユーロ台に乗った。まだまだ気は抜けないけど、これまでやってきたことが無駄じゃなかったんだなと思えるようになった。

 四日にカルロスがやめたいと言ってきて、六日にはいなくなった。理由を聞いたら、「客席の掃除までやらされて、もうこれ以上がまんができない」と言ってずいぶん怒っていた。いくら話を聞いても、なぜ怒っているのかまるっきり理解できない。
 求人の張り紙をあわてて出す。ジョルディの弟のチャビと、スペイン人の若い男の人と二人来たので、昼と夜と交替で、試しに働いてもらうことにする。

 もともとしゃべり始めるのが遅かったユキは、幼稚園に通い始めてからみるみるカタルーニャ語をおぼえている。家でおもちゃで遊んでいるときに、ずっと一人でしゃべったり歌ったりしているが、全部カタルーニャ語っぽいイントネーションになっている。
 最近、彼は夜寝ているときにかんしゃくを起こすようになった。夜中に突然泣き出し、苦しそうに手足を振り回して、ベッドをたたき壁をける。よく見ると涙は流していずに、抑えることのできない怒りを体中で爆発させている。かわいそうだけど危なくて近寄れない。疲れてきた頃にユリさんが添い寝をするとあえぎながらおさまる。
 幼稚園で周りの子供たちとのコミュニケーションがうまくいってないんだろうかと想像するが、学校には今のところ嫌がらずに通っている。

 先週、ユリさんの友達が日本から旅行に来ていて、ユリさんもユキをつれて一緒にバルセロナを観光していた。良い気分転換ができたんじゃないかと思い、安心する。
 普段僕が一緒に出かけられればいいんだけど、日曜日に僕ができることは限られている。時間もないし、体力もないし、お金もないし、気持ちの余裕もない。本当に全く何もない。
 でも、今僕がやっていることは、最終的に全部家族のためだと思っている。

2008年4月11日(金)

 三月の売り上げは五九五二ユーロ。
 まだ僕たちの生活費はちゃんと出ないけど、家賃や人件費は店の売り上げから何とか出せるようになった。この調子でいけば夏に店を閉めて日本に全面撤退はなさそうだ。もちろんまだ全く安心できない。
 一か月の生活費をまとめてユリさんに渡すようにした。なくなるたびに僕に言うのは彼女にとってもストレスだっただろう。忙しくなってきたぶん、僕は週に二、三日は最終電車に乗れずに、店の床で寝袋で寝るようになった。

 今週の火曜日にお昼の営業を終えてからいつものようにお金の計算をしようと思ったところ、バッグのなかに入れていたポーチが見つからない。倉庫の入り口に僕はいつもデイパックを置いていて、その中にナイロンの小さなポーチを入れているが、なぜかポーチだけない。中には家賃を払うための現金約六七〇ユーロと銀行の預金通帳などが入れてあった。
 血の気が引く。とっさにありそうな場所を探すが見当たらない。後片付けをしているチャビにも聞いてみるが、「ゴミ箱にでも落ちたんじゃないか」と言う。答え方もなんだか怪しく感じる。置く場所はいつも決まっていて、僕が狭い調理場にいる営業中の数時間の間に盗まれたのは間違いないと思う。
 ひざの力がぬける。なんだか情けなくてしかたがない気持ちになる。
 犯人は誰だろうか。チャビか、カルロスか。何人か思いうかぶが、こんなに簡単に誰かを疑える自分も情けなく感じる。
 その日の夜、交番に行って事情を説明する。僕が一通り説明した後、お巡りさんが質問する。
「誰か疑わしい人物はいますか?」
 証拠が何もないのでわからないのですが、と前置きしてから僕は説明する。客席から従業員用の扉を通ると、二階への細い階段と狭い倉庫があり、バッグはいつも倉庫の入り口においてある。仕事中にこの扉を通るのは僕とチャビだけだ。そのバッグの中にお金の入った青いナイロンのポーチが入っているのを知っているのも僕とチャビだけだ。証拠はないし、誰にもわからない。でも、盗まれたのは間違いないし、盗んだとしたらチャビ以外考えられない。

 そして昨日の夜僕は彼のフルネームとID番号を警察署で渡してきた。
 警察署に行くのはいつも仕事が終わってからなので毎回夜中になる。地下鉄に乗れなくなるので、昨日もお店に泊った。一人で夜遅くまでビールを飲んだ。

 今朝お昼に店を開けると、チャビの出勤時間に兄弟のジョルディがものすごい剣幕でやって来た。
「どういうつもりだ。お前は大変なことをしたんだぞ。証拠もないのに罪をかぶせて訴えて、精神的な傷を与えたお前をおれたちは訴えてやる。おぼえてろ」
 と、怒鳴り散らして帰っていく。
 チャビはもう仕事に来ないだろうが、ホールに誰かいないと営業できない。急遽、ケンジさんにきてもらうことにする。

 保険会社に電話して被害届をファックスで送るが、結局お金は戻ってこない。金庫に入れていたりドアに鍵をかけていたりして盗まれたのならともかく、バッグの中に入れていたお金が盗られるのは管理ミスらしい。
 しかたがない、明日からまた気持ちを切り替えて働こう。これまでつらい思いをしたこと全部取り返せるようにがんばって働こう。

2008年5月4日(日)

 四月の合計売り上げ金額は七一九〇ユーロ。
 チャビがいなくなった直後は、ユリさんやケンジさんやエイコさんに手伝いにきてもらった。それからいろんな人にためしに働いてもらい、ようやく少しずつメンバーがかたまりつつある。売り上げは順調に伸びているが、今度は従業員の教育が追いつかない。
 最近は一週間のうち家に帰れるのは、日曜日を入れても二、三日ぐらいで、毎晩客席の床で寝袋に入って寝るのが普通になった。実質の一日平均労働時間は十五時間くらいだろうか。

 ジョルディがお店に怒鳴り込んできた日の夜、心配になって、もう一度交番に話を聞きに行った。
「チャビが僕を訴えるって言ってきたんですけど、大丈夫ですか」
 担当のお巡りさんはきょとんとして言う。
「大丈夫ですよ。あなたは被害者ですから。捜査に協力して情報を提供してくれただけであって、犯人を告訴したわけじゃありません。今、書類は裁判所のほうに行っているはずなので、時間はかかると思いますが、いずれ何らかの結果が出ると思います。訴えられたりはしないので、安心してください」
 書類や裁判は別にいいけど、僕のつたないスペイン語で何かすごいことを言ってしまったのかと心配していたのでほっとした。
 僕がチャビの名前や住所などのデータを渡した直後、警察官たちは寝ている彼の自宅に捜査に押し入ったらしい。結局証拠品は何も出てこなかったようだけど、どうりで翌日ジョルディが大変な勢いで怒鳴り込んできたわけだ。

 これまでもずっと調子が良くなかった下水管が、三月あたりから頻繁に詰まるようになった。洗い場の下が詰まってしまい、薬品を入れたり、吸引カップを使ったりしていたが効果はなく、ドリンクの冷蔵庫にまで配水管から汚水が逆流してきたので、業者を呼んで高圧洗浄してもらった。
 その一週間後に男子トイレが詰まり、便器を取り外して修理しようとするがどうしても直らずに、また業者を呼んだ。
 業者を呼ぶたびにお金がかかるし、どこか詰まるたびに僕は数日間お店に泊まりこみで修理し続ける。
 四月に入ってまた男子トイレが詰まり、僕は再び修理と掃除をする。どうしても直らないので男子トイレをふさいで使用禁止にしてしまう。その間トイレは一つだけだけど特に問題はないだろう。ふさいでしまえば下水は逆流してこないので、その間にいろいろ対策がとれる。そうこうしているうちに調理場の床下の配管から汚水があふれ出てくるようになった。
 ある日いつものようにお店に泊りこんでいた僕が早朝トイレに目を覚ますと、一階の客席の床一面が深さ二センチくらいの汚水の水溜りになっていた。営業時間が始まるまで一人で掃除をした。
 洗い場の下、調理場の下、トイレ、これらの排水が床下をどう通っているか考えながら毎日掃除を続ける。
 店の奥には裏口があって、どこにも出れないけど建物の内側で風が通ったり、洗濯物を干したりできるパティオ(中庭)という十平方メートルくらいの狭いスペースがある。
 下水管の逆流が解決するのかどうか全くわからないけど、そのパティオの地面にある排水管 を掃除することにする。三メートルくらいの長さのスプリング状の針金を差し込んで汚物に引っ掛ける。何度もやっているうちに針金の手ごたえで中の形が想像つくようになってくる。
 ウェットティッシュのかたまりのようなものがいくらでも出てくる。大便と長い髪の毛のからみついた生理用品などを、スプリングで引っ掛けては引きずり出してゴミ袋に入れていく。僕は汗まみれになりながら際限なく汚物を引きずり出していく。
 閉店後の夜遅く、排泄物まみれのゴム手袋をはめて一人で掃除を続ける。頭の上では同じ建物の上の階にすんでいる人たちの笑い声や、テレビの音などが聞こえる。どこかの階で誰かが窓を開ける音が聞こえた。
 ガラガラガラ「ぺっ」ガラガラガラ、バタン。
 べちゃっ。僕の首筋に誰かの痰が落ちる。
「ぅわぁー」あわてて手袋をぬいで首筋を拭い取る。
 何時間も続けていると、タオルが一本出てくる。靴下が片方出てくる。下水管の中から出てくるはずのないような布がいくつか出てくる。これらは比較的新しい。
 大きなレジ袋四つ分くらいの汚物を引きずりだすと、下水管の水位が下がった手ごたえがあった。
 排水管が詰まっても、どこを掃除すればいいかわかってからは大して困らなくなった。そのたびに建物の裏の地面の下の下水管を掃除すればいい。たいていバケツ一杯分くらいのごみが出てくる。

 僕がスペインに来てちょうど五年がたった。五年前の夏にユリさんと出会った。
 僕は独りよがりな自分の身勝手さのために、日本にいた頃から身近な人たちへ迷惑をかけているだけなんじゃないだろうかと考えることがある。僕がこれまでやってきたことは、本当にこれでよかったんだろうかと考える。いくら考えてもわからないけど、ただ今は全力で進み続ける以外にはないんだろうと思う。
 ユリさんはよくここまで僕についてきてくれた。日本でいたならもうとっくに離婚しているかも、と少し本気でそう思う。

 毎日毎日一日中、店の中に閉じこもっている僕は最近青空を見ていない。家を出たら考え事をしつつ地下鉄に乗り、仕事が終われば店の中で寝袋に入って寝る。
 夜中のカウンターの中で一人でウィスキーを飲みながら、僕は広い空と白い雲を思い浮かべた。

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